※以下に移転しました。
以下も一応、しばらくそのまま残します。
第一章 バックギャモンの歴史
バックギャモンは実は深い深い歴史を持っており、それも魅力の一つと言えましょう。
もちろん、歴史なんて知らなくてもゲームはできますから、興味ねーよ!って方はこの頁は読み飛ばしてね^^
しかし、時にこういう歴史のロマンを感じながらプレイするのも一興かもしれませんよ〜
バックギャモンの起源は、5000年以上前の古代エジプト(!)の
「セネト」というゲームまで遡る、とする説が一つ有力なようです。
ツタンカーメン王の墓からも、このセネトが出土しているのです。
当時はただの娯楽ではなく、宗教的な意味合いを持っていたと考えられています。
その後、ローマ帝国でも「タブラ」という名前で流行しました。
5世紀ごろになると、現在のバックギャモンに非常に近い形にまで発展し、
ヨーロッパ各地で楽しまれるようになっていたようです。
一方ギリシャを通って、中近東にも「ナルド」という名前で伝わりました。
そこからさらに、中央アジアを通って7世紀ごろには中国に伝わり
そこからついには、日本に伝わって、「盤双六」と呼ばれました。
そう、実は古代の日本には、バックギャモンとよく似たゲームが存在していたのです!!
実際、奈良県の正倉院には、聖武天皇が愛用したという盤双六が納められています。
平安時代・鎌倉時代などの古典文学を読んでいると、時々「双六」という言葉が出てきますが、
その多くはこの盤双六のことを差すのです。今昔物語、源氏物語、枕草子などに出てきますよ!
徒然草にも、「双六を打つコツ by名人」みたいなお話が入っていて、ちょっと有名です。
他にも例を挙げてみましょう。平家物語の、白河法皇の天下三不如意という一節をご存知でしょうか?
院政を敷き、世の中を思い通りに動かした白河法皇ですが、思い通りにならなかったものが三つだけありました。
それは「賀茂河の水、双六の賽、山法師」でした。まさにバックギャモンのサイコロの目に悩んでいたのですね!
(まあ解釈は諸説あるようですけどね。双六の禁止令が上手く働かない、という意味だとも。)
(追記)2012年大河ドラマ「平清盛」にも、双六と呼ばれるゲームが頻繁に登場しています!
また盤双六は、お偉いさん達だけでなく、民衆にも広まりました。
賭博性が高かったため、国が何度も禁止令を出しましたが、それでも
江戸時代の途中あたりまでは人気のゲームだったようです。
ボードウォーク・コミュニティー様の伝統ゲーム紹介ページの「盤双六」が参考になりますよ^^
ところが、その後徐々に衰退し、江戸時代のうちに、ついに廃れてしまいました。
その原因として推測されていることとして、例えば以下のようなものがあります。
?囲碁や将棋といった優れたボードゲームが広まっていく中で、
今のバックギャモンよりはルールがつまらなかった盤双六は忘れ去られた
?賭博への取り締まりが強まり、役人の目が光る中、でかいボードが必要な
盤双六は不都合となり、サイコロだけでできる賭博が重視されるようになった
まあ、確固たる理由はわかっていないようです。
そして盤双六が廃れた後は、「双六」と言ったら絵双六、
つまるところは、今で言う一般的なすごろくを差すようになりました。
一方ヨーロッパでも、賭博禁止を主張する者たちによって
バックギャモンは徐々に虐げられていきました。
1743年にE.ホイルという人が遊戯法を整理し、
その後も一応存続していたものの、今ほどの人気はうまれまです。
転機は1920年代。アメリカでダブリングという画期的なルールが発明されたのです。
この瞬間、バックギャモンの面白さは一気に増し、それに伴って人気も増し、
現在のように世界中で(特に西アジア・欧州・北米で)人気のボードゲームへ成長していきました。
今では世界中でバックギャモンの大会が開かれています。
最も著名な大会は、モンテカルロ(モナコ公国)で行われる世界選手権で、
1967年から毎年行われています。
こうして欧米で発展したバックギャモンが、明治時代の日本に
盤双六とは無関係に、再び輸入されるという形で遊ばれるようになり
現在に至る、というわけです。
ちなみに、バックギャモンという名前の由来は諸説ありますが、一説には
よく駒が後退するゲームであることからback+
ゲーム(game)という意味を表すgammon
と言われているようです。